代表からのメッセージ

真剣に家づくりをお考えの方へ

家は暮らしの、そして人生の基礎です

私は家とは、家族が集うコミュニケーションの場、家族が笑顔で幸せになるための道具だと考えます。

お金に糸目もつけずに造られた豪華な展示場やカタログに惑わされて、道具にお金をかけすぎ、笑顔あふれる幸せな家族づくりという目的を忘れて後悔するのであれば、家は建てない方がいいと思います。

そして、家づくりをされる多くの方が一番重要な構造現場を確認せずに住宅会社を決めています。それに住宅会社も一番重要な構造現場を見せることはしません。こんな住宅業界の間違った常識と私たちは断固戦っていきます。

私たちの仕事、家づくりは生命産業です。家づくりはどこの会社でもできます。でも私たちは家だけを造っているのではありません。家づくりを通して、お客様の笑顔と幸せを造っています。

もしあなた様が真剣に価値ある家を建てたいと思うなら、是非この比較見学会の現場にご来場ください。そしてあなたの家づくりの基準としていただければ、あなたの家づくりはきっと成功するでしょう。

愛♥ホームができるまで

この職業に就くことを志してから、早30年以上の月日が過ぎました。私は木の家が好きです。この仕事を天職だと思っています。これからも、家造り一筋に取組んでまいります。

私は、京都府伏見区で長男(一人っ子)として生まれ、母の実家である京都市七条で幼いころを過ごしました。物心つくと西本願寺や東本願寺で鳩を追いかけ、本堂の廊下を走ったりして過ごしたことを覚えています。

幼いころから物を作ることが大好きだったようでブロックで遊ばせていると一日中遊んでいたと聞かされています。

子供の頃、建築現場で遊ぶのが好きだった私は中学を卒業する時、やはり建築の道に進もうと思い、職業訓練校 建築課に通い、カンナやノミの研ぎ方、建築法規・数学・製図など一年間建築の勉強をしました。

卒業後父の知合いの工務店に就職し憧れの大工さんへの第一歩を踏み出しました。

「世に名を残す大工になってやろう」、そんな思いで歩み始めました。

大工の修行は厳しいと覚悟はしていたものの、現実は想像以上に厳しく、時には兄弟子にさしがねでたたかれたり、「お前なんか明日から来なくていい、やめてしまえ」などと、それはひどいことを言われ、大工をやめようと思ったことは何度となくありました。

でも今思うと、「がんばれよ」「早くここまで登って来いよ」と言う、兄弟子の思い、愛のムチだったのだと、感じています。3年目に入ると親方が、「墨付けしてみるか」と言ってくれ小さな小屋を任されることになり、初めて私の作った建物がこの世に残る嬉しさをしりました。

我慢して、頑張ってきて良かったと思うことが出来、あの日の思いを今でも忘れることはありません。この頃、長年頑張って働いてきた母が大病をして、養生もかねて湯原温泉に来ていました。

そこで蒜山高原を知り、空気も良くて大自然いっぱいの蒜山高原に惚れ込み、京都の家を処分して移り住むこととなりました。

当時、私はまだ大工の修行の身、一人前の大工になるまでは京都を離れることは出来ないと思い残ることにしました。

その後、何軒か現場を任されるようになり、5年の修行期間も終え、親方に「お前はもう一人前だ」と言ってもらう日が来ました。

それと同時に私は独立をし、工務店の下請けでハウスメーカーさんの仕事をこなすようになっていました。時代はバブルと言われた頃で、仕事が切れることなく毎晩残業の日々で収入も増え、一国一城の主としてやっていける自信もついたので、結婚し二人の子宝にも恵まれました。

でも、この頃から思うようになりました。「この家のお施主様はどんな方なのだろう」と、お施主様の顔すら知らない・・・。中には現場を見学されるお施主様もおられましたが、大半は解らなかったのです。

「この間取り使い勝手が悪そうだなー」、「お施主様は納得されているのかなー」とか、いろいろ思うようになり、「お客様の直の声が聴きたい」「お客様と一緒に家づくりがしたい」そう思うようになってきたのです。

その頃、一軒の上棟があり、兄弟子の担当の現場に応援で行った時のことです。屋根をするようになった頃、カット間違いがあり、私は兄弟子に「長さが間違っていて付けられないから監督さんを呼んでください」と声を掛けたのですが、兄弟子は「そんなはずはない、いいから付けろ」と言ってきたのです。

その頃の建築業界は上下関係が 厳しく、間違っていると解っていても付けるしかなかったのです。その後、お施主様から1本の電話があったそうです・・・。そのことを聞き、私は「なんてことをしてしまったのだ」と深く反省をしました。

いくら兄弟子の言いつけとはいえ、付けるべきではなかった。

お客様の大切な家なのに、どうして付けられませんと言えなかったのか・・・。

お客様に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。(今でもあの日のことを忘れることが出来ません。)私はこのことを教訓とし、お客様とお話をして、信頼されなければ家を建てる資格がないと思い蒜山に戻り再スタートしようと思いました。平成6年、蒜山に戻りました、戻ってはみたものの思うように仕事はなく、地元の工務店さんのお世話になり手間請けで仕事をさせて頂いたりしていました。

でもある日、元請けとして初めての新築の依頼があったのです。

当時、その工務店さんの担当の銀行マンさんが、現場をのぞきに来られていたのですが

「君は良い仕事をするね」とほめてくださりそれからたまに現場に来られるようになりました。

その頃、住宅ローンのご相談をされていたお客様に、私の事をお話になられたみたいで、是非うちの家を建ててほしいとお声を掛けて頂けたのです。

私は今までの経験、大手ハウスメーカーさんで学んでこと、全てを費やしプランを考えました。

 お客様も私のプランを大変気にいってくださり、工事も順調にすすみ無事家も完成しました。

 メンテナンスでお邪魔した時でも世間話をして頂いたり、家とは関係のない話でも、私を頼ってお電話いただいたり、時には現場を探して訪ねて来て下さったりと本当にありがたい限りです。

どこのお宅にお邪魔しても、以前と変わらぬ愛情で接して頂ける、こんな幸せなことはありません。

わが家が出来ていく姿を観て心から喜んでくれるお客様、「ありがとう」と、声を掛けてくださるお客様、そんな方々の笑顔を見られる仕事をしていることは最高に幸せです。これからもお客様の笑顔が見られるようお手伝いをしていきます。

蒜山は別荘地が沢山あるところなので別荘の仕事も始めました。この頃からログハウスの施工もするようになりました。当時、蒜山は別荘ブームで開発業者さんが蒜山になだれ込み、いろんな所で別荘分譲地の販売が始まりました。

私もこの景気にあやかり、ログハウス会社さんからお仕事の依頼を頂き、手間請けで数々のログハウスを建てていたのですが、それも長くは続かず無理な価格で請け負っていたログハウス会社さんは、負債を抱えて倒産・・・工事途中のお客様にも申し訳なく辛い日々を過ごしたのですが、何とか家を完成させたい思いでいっぱいだった私は、ログハウス会社の社長さんにお願に行きました。

すると、ログハウス会社の社長さんが、「みやこ住建さんに任せれば安心なので、私に代わって元請けでログハウスをやってくれないか」と話を持ちかけられ、工事途中だったお宅も最後までやり遂げることが出来ました。それと同時に、ログハウス施工販売店としてもスタートし、今ではログハウスと在来工法の建築を手掛けています。

悔やんでも悔やみきれない出来事がありました。

それは、私が建てさせていただいた家が、他の方の手に渡ってしまったのです。

その頃、仕事も順調で景気の良かったお客様は、少々無理がある住宅ローンを組まれたのです。その後仕事が上手く行かなくなり、その結果ローンの支払いが滞り家は競売に掛けられてしまいました。

私は悔みました。「どうしてあの時、もう少し家を小さくしなかったのだろう」「どうして、お客様の言われるままの家を建ててしまったのだろう」「どうして、こんなに大きな家は必要ないでしょう」と言えなかったのだろうあの時私にもう少しお金に対する知識があれば、引き留める事が出来たはずなのに、幸せに暮らしていただけるはずだったのに・・・。

私は悔んでも悔やみきれません。後悔するばかりです。私は建築屋で、商売で家を建てているのだから、お客様の要望にお応えするのは当然です。でもこのようなお客様を二度と産み出してはならないと強く思います。

その他でも、同じようなケースを耳にする機会が増えています。お客様が家づくりで失敗されないように、私はもっともっと勉強しなくてはならないと感じています。 二度と同じ過ちを繰り返さないためにも・・・。

私は以前から不安を感じていたことがあります。

それは、グラスウールの断熱材です。ある日リフォームの依頼があり、そのお宅の壁をはがしてみると、壁一面に入っているはずの断熱材が湿気を吸って下にずり落ち柱も腐っているのを見ました。

(壁体内結露)施工中もサイズを合わせるのにカッターナイフで断熱材を切ると細かい繊維が空気中を舞ったり、夏なんか半袖で施工しているとかゆくてしかたなかったり、  「こんな物が人体に影響ないのだろうか?もっと良い物は無いのだろうか」とずっと思っていました。すると一通のFAXが流れてきました。高気密・高断熱・省エネの断熱材と巡り合えたのです。説明を聞きに京都まで出かけました。

この時「これだ、これしかない、これで何の心配もなくお客様に提供できる」そう確信しました。それが“ウレタン遮熱工法”です。

夏涼しく、冬暖かく、壁体内結露もゼロ、こんないい物が世の中に存在したのかと、私は驚きました。これ以外の断熱材を使用することは、お客様にも自分にも嘘をつくことだと思いました。自分が良いと信じたもの以外はお客様に提供することは出来ません。これを期に屋号を「愛♥ホーム」とし、私の教訓を生かし、愛が育つしあわせ家づくりのお手伝いをさせて頂いております。

私には、4人の子供が居ます。

蒜山に来て間もないころ、妻は1歳と3歳の子供を残して病気で亡くなりました。足に紫色のアザが出来たので病院で診断してもらうと、うちでは手におえないので大学病院に行くようにと言われ、紹介状を頂き翌日大学病院に行ったところ、白血病と診断され、即入院でした。私は頭の中が真っ白になり、あふれてくる涙を抑えることが出来ませんでした。

幸い妻の妹と骨髄の型が一致したので骨髄移植が出来る、もう大丈夫だと思ったのですが、肺炎を併発し移植をすることなく、旅立ってしまいました。

それまで私は、若い人が病気で亡くなるなんてことは、他人事にしか思っていなかったのですが、自分の身に降りかかって思い知らされました。

この世に、これほど辛く悲しいことがあるのかと・・・。約半年仕事にも出かけられず、食事もろくに喉を通らない時期を過ごしたのですが、大工仲間のみんなにも励まされ、「こんなことをしていてはいけない、いつまでもふさぎ込んでいても亡き妻が喜ぶはずがない、子供のためにも私ががんばらないといけない」、そう思えるようになり仕事に復帰することが出来ました。

でも亡き妻の事を思い出すと涙があふれて止まらない、それを乗り越えるのに3年かかりました。その3年後、今の妻(あつこ)と知人の紹介で知合い、意気投合し結婚しました。

妻(あつこ)にも、二人の子供がおり、当時18歳の女の子(まいこ)と16歳の男の子(だいすけ)を養子として迎えました。その後、女の子(まいこ)が19歳で結婚し、結婚式では父親としてバージンロードを歩きました。

2歳下の男の子(だいすけ)も24歳で結婚し、京都で幸せな家庭を築いています。今では上の女の子(まいこ)に3人の娘が出来て、私も孫3人のおじいちゃんです後の二人は、去年成人式を迎えた男の子(だいし)と、今年高校を卒業した女の子(なつこ)です。

妻とは、どこに行くのも一緒で、買い物やラーメンの食べ歩き、研修なども常に二人で行っています。

妻は、犬とねこのせわをするのが楽しいようです。
仕事の合間に雑種でシェパードのかかったプリン君(オス)と、ミニチュアダックスのアンコちゃん(メス)と、茶トラのねこのハスキー(オス)に癒やされてます♪

弊社にご来社くださるご家族様は、みなさん家族思いの幸せな方ばかりです。
その幸せを末永く続かせるためには「家づくりはしあわせづくり」でなければならないと思っています。こんな二人が営む小さな会社ですが、精一杯家づくりのお手伝いをさせて頂きたいと思っております。追伸、失敗しない家づくりをするために、いろんな家を見学してください。あなたに合った会社がきっと見つかるはずです。

弊社も家を建築します、弊社を選んでいただけたら嬉しいのですが、他社で建築されてもかまいません。でもどうか無理をしない家づくりをしてください。そうでないと家族が不幸になります。あなた様が家づくりで失敗されないことが一番大切なのです。そのために私はお手伝いをさせて頂いています。

30年の経験と実績はあるのですが、建築屋は日々勉強で今でも妻と一緒に、研修にも参加しております。お客様にとって必ずプラスになるお話をさせて頂きます。

「ここに来てよかった、これで家づくりに失敗しない」そう思っていただけるお話をします。資料は全てお持ち帰りいただきます。

愛♥ホーム 株式会社みやこ住建 仲西真一